雀の夜

雨が続いて涼しかったお盆が過ぎ、また暑さが戻ってきた。

フラフラリどこへ行ったかと思えば夏はまだここにありてカラリ。

 

ベランダの鉢植えの隅に生えてきた雑草も暑さに萎れている。抜いてしまえばいいものを、そのまま一緒に水を与えて、元気になればなんだか嬉しい。カタバミもある。黄色い花の咲く、クローバーみたいな葉の 小さな雑草だ。美容院で見た雑誌に、カタバミの葉で10円玉を磨くときれいになると書いてあったが、カラカラの葉っぱではだめだろうか。(どちらにしろ、試す気はないのだけど)

 

古代の女性はカタバミで鏡を磨いたという。もちろん、今のような鏡ではなく、銅製のそれだろう。そして、カタバミで磨いた鏡には「想い人」の姿が映し出されるという伝説もあった。そうか、「想い人」か。 誰が現れるんだろう。結局じぶんのことしか考えていないから、鏡に映るのは当たり前に自分の姿というオチではないか? と、考えてしまう哀しさよ。相変わらずロマンチックが足りない。

 

ついでながら「カタバミ」には180以上の地方名があるらしい。「かがみぐさ」「すっぱぐさ(噛むと酸っぱいらしい)」などいくつか見た中で私が気に入ったのは「すずめぐさ」だ。「すずめ」は小ささを表して いるんだろうか。小鳥が食むような小さな草ということだろうか。

 

雀と言えば先日来、「雀の夜」が気になっている。
15の頃に読んだ本を再読してみようシリーズ(長い)でツルゲーネフの『初恋』を読んでいるのだが、その中に

俗に「雀の夜」と言われる短い夏の夜で、稲妻はかたときも止むことはありませんでした。

とあったのだ。
俗に言うと言われましても「雀の夜」というのは初めて聞いた。探してみたけれど、日本語にその言い方は見当たらない。ロシア語にある表現なのかもしれないが、そこまでは追えなかった。ただ、「雀」が「短さ」 (僅かであること)を表しているとすれば、「雀の涙」と同じような使い方なのだろう。

 

 夏の夜は まだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ


というのが、どなたの句かは覚えていないけれど、百人一首にある。
夏は夜明けが早く、真っ暗な時間は確かに短い。
けれども、暑さで寝苦しい夜は何度も目覚め、長く感じるものだ。

「雀の夜」ならぬ「涼しめの夜」が待たれる。

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